全国で活躍する【かつおぎ会】の同士達の声をお届け致します。

 

 

 

37期

掃部 里美

大阪府出身

大阪國學院にはどのような経緯で入学されたのでしょうか?

 

 

 

「地元の宮司さんの推薦です」

 

 

 

 

神職としてのご経歴は?

 

 

 

「大阪国学院在学中より地元の神社でとんどの手伝いや地鎮祭などの補助をさせていただいており、卒業をしてからは地元の春日神社で奉務しておりましたが、家族の病気などがあり神社での奉仕を続けることができなくなりました。しかし、神様の神恩により、色んな事が快方に向かい、そんな時に八坂神社さまにお声をかけていただき現在は八坂神社で権禰宜として奉務させて頂いております」

 

 

 

 

 

ご自身が奉職されている神社について

 

 

 

「私の住んでいる枚方から、福島区の神社までは約1時間30分かかります。今までは地元の神社におりましたので、総代さん達とも皆「里美さん」や「かもんちゃん」と親しく冗談を言い合いながら一緒に作業などしていましたが、今は全く知らない地での奉仕です。私も最初は不安でしたし、私なんかがここに居て良いのだろうかと思ったりもしました。でも、奉務を重ねるうちに現在の総代さんや氏子青年会の方々も「遠くからお疲れさん」と声をかけて下さったりしてありがたいと思っております。特に節分祭では地元の方と一緒にお餅を焼いたりぜんざいを作ったり、お友達のように楽しく仲良くご奉仕させて頂いております」

 

 

 

 

 

神職として大事にされていることは?

 

 

 

「慎みて怠ることなかれの言葉の実行です。人は謙虚であることが大切だと思います。そして神職としての教養を身につけるのも大切です。私は小さいときから母と神社にお参りに行っておりましたが神主さんは何でも知っていて普通の人ではない特別な人だと思っていました。でも、実際今の私はどうでしょう。何もかもが未熟です。神社でご奉仕できるというありがたみを忘れず絶えず慎みの気持ちをもって勉強していきたいと思います。

 

 

女性というだけでお参りの皆さんも声をかけやすいようです。そういったことも大切にし私も積極的に挨拶はしていきたいと思っています」

 

 

 

 

 

現在、神社ではどのような取り組みをされておられますか?

 

 

 

「現在の奉務神社には特殊神事があります。一つは菖蒲祭りという氏子の8人の八乙女が奉仕をするお祭りです。八乙女は氏子区域の小学5年生、6年生と決められています。  このお祭りの為に子供たちは1週間神社に通い練習をします。そんな中で宮司様がお参りの作法や目に見えない神様に対してどのようにするのか丁寧に作法を教えていきます。

 

 

それにより子供達は色々と感じ考えているようで神社に特別の思いを持って成長してくれるように思います。祭り当日には御家族の方も参列して頂くようにしていますので御家族も含め良い記念になると思います。夏祭りでは小学校へ地車を引いていき授業時間を当てて地元のお子さんたちに思う存分地車に触れて楽しんでもらったり、学校側も祭りの日は学校の授業が短縮されたりと地域と祭りの関わり合いが強いのですが、これは土地柄もあると思いますが代々宮司様たちが努力をされての事だと思います」

 

 

 

 

これからの神社神道について

 

 

 

「私の中では神社神道は宗教というより日本人の生き方そのものの様な気がしています。実家の母は月が出ていたら月に向かって手を合わせ、朝は太陽に向かって手を合わせていました。家を建てる時に土地の神様に地鎮の祭で、ご挨拶をするのと同じ意味合いだと思います。目に見えないものに感謝をし家庭のお祭りを大切にすることだと思います。そして他の宗教も知ることも大切だと最近思うようになりました。それは、神社神道を守ることに繋がるのだと思います」

 

 

 

 

 

大阪國學院で学んだ経験について

 

 

 

 

「もっと若い時から神道の勉強をしたかったと思うほど楽しく興味深く勉強できた分野もありましたが、何故このような問題がレポートに出るのだろうか?神道と関係があるのだろうかと疑問に思う問題もありました。しかし今はっきりと言えますが、何もかもが大切な設問であったと言えます。祭式もレポートも厳しかったですが、その根底に私達受講生が今後神社界に出て困らないようにという愛と思いやりがあったのだと本当に感謝をしています」

 


 

 

 

 

38期

田中 善典

大阪府出身

 

 大阪国学院にはどのような経緯で入学されたのでしょうか?

 

 

「出身地は生駒山地の標高300m位の山中に位置する山村で50年間育ちました。  近くには、5世紀前半に築造された古墳があり、大阪と奈良を結ぶ古堤街道が通っています。その街道沿いに龍間神社がありますが過去から神職が在籍したことはありませんでした。数年前の秋、村の隣組総会の時に総代さんの「我がお宮さんにも神主がおればいいなあ。」との言葉があり、この時が全ての始まりでした。実際にはその後1年間の心の準備期間を要しました」

 

 

 

 

神職としての経歴

 

 

38期生として平成28年の春に大阪国学院を修了いたしました。大阪国学院在学中から龍間神社でご奉仕していました。

 

 指定神社実習は、38期生会長のお誘いもあり枚岡神社様で実習。引続きお手 伝いさせていただき宮司様のご厚意により出仕、権禰宜を拝命しました。 この2年の間には枚岡神社御鎮座2680年の佳き年に重なり仮殿遷座祭にご奉仕申し上げました。その後、三重県松阪市に転居。平成3012月に、妻がご奉仕申し上げます松阪神社の権禰宜を拝命いたしました。令和元年61日には松阪市内の御厨神社総代会にて同社の禰宜に就任する旨が承認され今日に至っております。

 

 

大阪国学院を修了後3年と数か月程の若輩者でございます故、これと言ったエピソード等はありませんが、かつおぎ会の諸先輩方々のお心遣いを賜りまして4社でのお手伝いをさせていただきました。実家から極至近距離の別格官幣大社でのご奉仕。また25年勤めた会社の本社と主要事業所を氏地とするお宮等でした。少年時代は山々を駆け回り遊び呆けていましたので、神職としてご奉仕するなど考えているはずもなく何とも妙な気持ちになりました。

 

 

また、社会人としての第一歩となった会社の眼前での祭典ご奉仕の際には、 今この場所を会社の先輩やら後輩が歩いているのだろうと思うと、恥ずかしくもあり落ち着かない感じになりましたが、この会社が無事故たらんことを 願いさらに気を引き締めました」

 

 

 

 

奉職している神社について

 

 

【松阪神社】式内社 郷社 誉田別命、宇迦御魂神、外33

 

 

三重県松阪市内の松阪城跡に隣接し、意非神社の後裔社で1000年以上の歴史があるが創立年代は不詳。室町末期に蒲生氏郷が築城された松阪城の鎮守社として御造営された神社。明治41年の政府方針による神社合祀の際、松阪市内の17社が合祀され社名が松阪神社とされた。

 

 

本殿は、昭和5年に神宮外宮御殿の中の西宝殿をそのまま譲り受けて千木・鰹魚木を取り付けたもので全国で唯一の例である。本殿の外、少名彦命社、神楽殿、神輿殿がある。神輿殿は、常時神輿2基が展示され7月の松阪3社まつり(松阪神社、御厨神社、八雲神社)には2基とも神幸される。また、御神木の大楠の空洞は隣接の松阪城と繋がっているという伝説がある。

 

 

 

 

【御厨神社】

 

 

建速須佐之男命、熊野加夫呂岐神、火産霊命、木花之開耶姫命、大山祇命 奥津彦命、奥津姫命、応神天皇、宇迦之御魂命、市岐島姫命

 

 

考徳天皇の大化2年の頃に皇大神宮御厨所として創建された。当時、参宮の駅路にあたり勅使参向、行路の要人はこの駅に止館し、当社にも参篭して旅の安全祈願した。それに由来して見送神社とも称している。

 

 

松阪城築城に際し城郭の大手先に奉遷されたが、元和6年に松阪城の鬼門鎮守として現在地に移された。明治22月、明治天皇神宮御親拝に際し神器を当社拝殿に安置された。近隣36地区の産物を当社に納め清祓いの後、週23回神宮に納入された。境内には本殿の外、三めぐり稲荷神社(三井家の氏神)、高春稲荷神社(井村屋の氏神)、大山祇神社、猿田彦神社を祀る。また神輿1基は、松阪3社まつりに神幸される。また有名な本居宣長には古事記傳全巻を奉納、財閥の三井家、井村屋製菓等々が氏子である。

 

 

 

 

神職として大事にしていること

 

 

 【初心忘るべからず】

 

 

「これは、40年前に社会人になった際に会社の研修中に出会った言葉です。自身では神職を志そうとした~神職になれた頃に、奉仕や仲取り持ち、あるべき姿等々の言葉を聞き習い自問自答もしました。が、いまだに分からない部分もありますので、この言葉を軸として常に基礎を堅くし基本を大切したいと思っています」

 

 

 

 

 

神社での取り組み、神社神道について

 

 

「松阪に来て1年と数ヶ月です。難しいことですね。祭典を通じて無言の発信のようなものもあるのだろうとも思います。また言葉のニュアンスが微妙であったりしますので早く溶け込むことが第一と考えています。松阪神社・御厨神社ともに新任ですので、とにかく社務を覚えながらこの先を模索していきたいです」

 

 

 

 

大阪国学院で学んだ経験について

 

 

「一般的に専門職に就くには経験と知識技能が伴わなければいけません。趣味のような形で神社に接してきた自分には、大阪国学院での学びは大きな財産です。とはいえ自分の財産はとても小さなものと思います。しかし大神様に向き合うことの度胸は培いました。学んだことは他に流されることなく全力で社務に祭典に発揮し活かして行きたいと思います」

 

  

 


 

 

 

 

28期

栗野 義典

奈良県出身

大阪国学院にはどのような経緯で入学されたのでしょうか?

 

「神社の家の娘と結婚し、その神社の跡継ぎがいないことを知って、私から相談させていただきました。仕事を通じて、地域の歴史や文化に神道が深く関わっていることに親しみを覚え、興味があったためです」

 

 

神職としてのご経歴は?

 

「28期ですので、大阪国学院を修了して、かれこれ10年になります。権正階の勉強中に父が帰幽しましたので、修了していきなり宮司を拝命しました。引継ぎの時間がほとんどなかったので、神社や祭りにまつわる仕来たりなどについては氏子さんたちから教えていただいています。地元の方々に育てていただいています」

 

 

ご自身が奉職されている神社について

 

「本務神社と兼務社3社のほか各大字の氏神社6社の合計10社で御奉仕させていただいています。奈良県宇陀市は神武東遷伝説の残る土地柄で、記紀に掲載される土地の多い場所です。八咫烏神社の御祭神は吉野山中で御迷いになった皇軍を大和の地まで導いた神様ですし、兼務社の都賀那岐神社は伊那佐山山頂に祀られており神武天皇がお詠みになった和歌の故地となっています」

 

 

神職として大事にされていることは?

 

「神職過程で学んだ基本的な神社神道の心得や考え方に忠実であるのと共に、実際の御奉仕では教科書通りにいかないことの方が多いので、その都度柔軟に誠意をもって対応するよう心がけています。具体的には、伝統と先代のやり方を踏襲するようにしています。奈良という土地柄、長い歴史がありますので、仮に何か変えなくてはいけない事情が出てきた場合は、これまでのやり方(伝統)に重きを置きつつ最善の方法で御奉仕できるよう努力しています。その上で、どこかで間違って伝わったと疑われる事象に関しても、それを正道として受け継いでいる場合がありますので、物事に軌道修正が必要な場合も先人への敬意を失わないよう注意深く事に当たるよう心がけています」

 

 

現在、神社ではどのような取り組みをされておられますか?

 

「これまで神職を介さない氏子行事に神職は干渉しないという暗黙の了解のようなものがありました。しかし、少子高齢化による過疎や若年層の生活習慣の多様化により氏子行事自体の存続が危ぶまれつつある状況があるようです。こういう問題は最終的には氏子さんたちに委ねるしかないのですが、存続してもらえるよう少しずつ働きかけるようにしています。まずは祭り以外の場でも顔を合わせ言葉を交わす機会を増やすようにす神社以外のムラ行事もなるべく参加するようにしています。

また、私は兼業で印刷関係の仕事に就いていますので、その職能を活かして地元自治会の広報に参加し、氏子行事を含むムラ行事の取材と調査と記録的保存を心がけています。これで本当にムラの伝統が守れるのかは、正直わかりません。それでも何もしないよりはずっといいと思い、続けています」

 

 

これからの神社神道について(神社界の課題やより良い状況に進んで行く為に必要な取り組み等)

 

「変わらなければならない点と変えてはならない点のバランス感覚が必要だと感じています。神社における守るべき古来の感覚と現代の感覚の間には、隔たりではなくむしろ普遍的な共通項があることを積極的に発信する必要があると感じています。

教化においては、子供よりも一般の大人に対するそれが喫緊の課題であると感じます。日本の精神文化を語り伝えることのできる大人がもっと増えれば、子や孫の世代への継承にまだまだ期待が持てると思います」

 


 

 

 

38期

佐藤 儀一

大阪府出身

大阪國學院にはどのような経緯で入学されたのでしょうか?

 

「恥ずかしながら、自分の意志ではなく父の勧めです。私はライブハウスで働きながら長い間自身も音楽活動を続けていましたが、事情があって転職を考えていたときに、ちょうど父から「神職にならないか」との話がきました」

 

 

神職としてのご経歴は?(神職としてスタートされた頃やそこから現在に至るまでのエピソード等)

 

「私は38期生で平成28年に権正階を取得したばかりで、経歴という経歴はまだ何もありません。平成283月から大阪府茨木市田中町の天満宮の禰宜として登録していただいていますが、今は日々が勉強ですし、一歩一歩チャレンジしながら地道に経歴を積んでいきたいです」

 

 

ご自身が奉職されている神社について

 

「過去に数回の火災と河川の氾濫により資料が逸失され、残念ながら詳しいことはわかっていませんが、伝承では、菅公が九州大宰府に送られる途中、当地田中村に宿泊され、その跡地に建てられた神社が当「天満宮」であるということです。地域の方々、とくに古くからの氏子の方々は非常に当社に誇りをもっておられます」

 

 

神職として大事にされていることは?

 

「新米の私には難しい質問ですが。【神明奉仕】という言葉がありますが、神職として最も大事なことはこの言葉に集約されているような気がします。まだ今は迷う暇もない状況ですが、この先道に迷うことがあれば、その都度この言葉を思い出したいと考えています」

 

 

現在、神社での状況

 

「掃除から祭りの準備まで、ベテラン総代のみなさんがよく動いて下さいますので、本当に助かっています」

 

 

これからの神社神道について(神社界の課題やより良い状況に進んで行く為に必要な取り組み等)

 

「どうなのでしょうか。私にはまだわかりません。まずは自分が神職としてひととおり経験してからですね。と同時に先輩方の話を聞きつつ、勉強もしていきたいと思います」

 

 

大阪國學院で学んだ経験について

 

「長くライブハウスという環境にいた当時の私にとって、大阪國学院は全くの異世界でした。また父から言われての受講であり、高い志をもった自発的な他の受講生を前に、当初はかなり気後れしました。神職の基礎知識ともいうべき歴史も古文も苦手で、昔から特に興味をもったこともなく、こんな自分でいいのかと悶々としながらの2年間でもあったわけですが、不思議なもので先生方や実習先でかわいがっていただき、今の奉職につながっています。何人かの方に神様の導きだといわれました。そうかもしれません。そうだといいのですが。とにかく大阪國学院時代より今に至るまで、懐ふかく私を迎えてくれた方々に感謝し、恩返しのつもりで奉仕したいと考えています」

 


 

 

 

18期

中村 徹

大阪府出身

大阪國學院にはどのような経緯で入学されたのでしょうか?

 

「私は皇學館大学(文学部国文学科)を卒業しまして、卒業後は中学校の教員になりました。教員時代に、皇學館の同級生に頼まれて神社を手伝い始めたことをきっかけに神職に繋がる様々なご縁が生まれ、大阪國學院に入学する流れとなり皇學館時代に取得していなかった神職資格を大阪國學院にて取得する運びとなりました」

 

 

神職としてのご経歴は?

 

「奈良県東吉野の丹生川上神社で11年間奉職しまして、その後、平成22年より宮司として現在の神社に参りました。先ず神社の再興。そして一年半後に遷座80年という大きな節目が控えておりましたので、氏子の方々と共に無我夢中でそれに向け奔走するというスタートになりました。決して楽では無い状況では御座いましたが、そこで現在に至る礎を築きました」

 

 

都会の中の神社について

 

「氏子区域についての問い合わせが多かったことはそれまで経験しておりませんでしたので先ず印象に残りました。あとはやはり地域によってのシステムの違いでしょうか。地方の神社では当たり前のことが、都会においては全く異なる部分も御座います。都会ならではの教化というものが必要であると感じました。また都会におきましては神社との関わりを持ちたいと望んでおられる方がおられても、そのきっかけが無い。祭典において参列したいと考えられている方が潜在的におられると感じておりますので、そういった方々に積極的に呼びかけて行くことは重要ではないでしょうか」

 

 

その様な環境で氏子の方々との繋がりはどのようにされておられますか?

 

「以前、官幣社の祭りを見て頂こうと奉賛会長の方と一緒に橿原神宮の紀元祭に参りました。他の神社も見てもらい視野を広げて頂こうという意図が御座いました。様々な神社を当社を支えて下さっている氏子の方々と共に巡り、自身も視野を広げ氏子の方々と一体となって地域コミュニティーにおける理想の神社に一歩ずつ近づいて行きたいと考えております」

 

 

現在、神社ではどのような取り組みをされておられますか?

 

「所謂ドーナツ化・過疎化によって氏子の数は減って行っておりますが、参拝される方々、お一人お一人に真摯に対応することで参拝者(賽銭・授与品など)は増えております。当社のような比較的小規模なお社では御朱印や御祈祷の際に時間を掛けて対応させて頂くことによって参拝者の皆様に神社神道について深くお伝え出来ることは利点であり、それは私自身にとりましても大きな喜びでもあります。参拝者の方々と接する様々な機会に当社のご祭神である仁徳天皇の御神徳をしっかりとお伝えして行きたいと考えております。仁徳天皇を起点とした大阪の発展や郷土愛という部分をより広くそして深く訴えて行きたいですね。一般的にはあまり知られていない大阪の歴史の深さを多くの方々にお伝えして行きたいです」

 

 

神職として大事にされていることは?

 

「祭典におきましても、教化におきましても神社の本義を大切にしたいと考えております。比較的規模の小さいお社であっても大祭・中祭とこだわりを持って執り行い、そして奇をてらわずに普通であることも心掛けている要素です。自己流にならないよう、祭式の研修にも出来るだけ出席しております」

 

 

これからの神社神道について

 

「強い信念を持つことが最も大切ではないでしょうか。神社界の持つセルフイメージと一般の方々が神社神道に対して持っているイメージとのギャップをどのように埋めていくのかという部分は大きな課題であると思います。神道の持つ受け皿の広さを柔軟に捉え、固定観点を持っていない若年層へアプローチして行くことも神社神道の将来を考えますと重要な課題ではないでしょうか?思考停止に陥らず模索し続けることが重要であると考えております」

 

 

大阪國學院で学んだ経験について

 

「現在の神社に宮司として参りましてから、國學院時代のレポートを見返す機会があったのですが、その中に【自身が専任になった時には社報を作る】という言葉が御座いました。現在、私は実際に年4回、自身の考えを社報として氏子の方々に配布しております。この國學院時代に自身が書いた言葉を見まして、國學院での学びが自身の原点であったことを再確認した次第で御座います。大阪國學院では生まれて初めて自身が心から学びたいと思ったことを勉強させて頂きました。神社神道に対する自身の想いと皇學館・國學院や、かつおぎ会でのご縁によって現在の私があり、その繋がり一つ一つが私に取りましてはかけがえのない財産で御座います」